街を汚す平和運動
この夏、二度にわたり沖縄に足を運びました。
「平和活動家」が汚した米軍基地を清掃しようと、
勇気ある活動を続ける「フェンス・クリーン・プロジェクト」を支援するためです。
沖縄では「平和活動家」を名乗る人たちが連日、米軍基地のフェンスに赤い旗やガムテープを括りつけ、
出入りする米軍関係者に罵声を浴びせるといった行為を繰り返しています。
彼らが我がもの顔でテープや旗を巻きつけているのは、自分の土地ではありません。
他人の土地です。覆面・サングラス姿で「ヤンキー、ゴーホーム」と罵倒する相手は、米軍兵士だけではありません。
その家族や幼い子供であっても、基地から出てくる人間であれば見境がないのです。
ここまでくると犯罪ではないかと思えるのですが、「反戦」「反基地」「反自衛隊」を掲げる彼らのやることに、警察は手を出せないでいます。
そんな状態の中、「こんな平和活動はおかしい」と感じた若者たちが立ち上がり、
テープをはぎ始めたことから、フェンス・クリーン・プロジェクトはスタートしました。
リーダーの手登根安則さんは長年のPTA活動を経て、沖縄の教育問題を検証する活動を始められた方で
「反戦を叫んで街を汚す行為を放ってはおけない」と活動の輪を広げておられます。
また、罵声を浴びせる活動家のすぐ横で、米軍への友好を表す横断幕を掲げ、
笑顔で挨拶をする「ハート・クリーン・プロジェクト」も週一回のペースで継続されています。
こうした活動を続けるうち、米軍の中から、フェンスの清掃に参加したり、わざわざ車から降りて握手を求める兵士が現われ始めたのです。
箸よく盤水を回す
私は六月と八月の二度、「日本を美しくする会」の有志の方々と共に、手登根さんたちの活動に加わりました。
およそ平和とは正反対の活動家たちの姿を目にして、沖縄の平和運動に対してかねてから抱いていた疑問は、確信へと変わりました。
戦争のない世界を願う思いは、私だって同じです。
私の両親は昭和二十年三月の東京大空襲によって、築き上げた生活基盤すべてを失いました。
なくてすむなら基地も軍隊もないほうがいい。
しかし、現下の日本の情勢を見れば、軍備なくして日本を守れないことは、誰が考えてもわかることです。
はたして今、沖縄から米軍がいなくなり、日米同盟にヒビが入るのを喜ぶ国はどこでしょうか。
フィリピンでは、反米運動を受けて米軍が撤退すると、すぐさま中国が軍を差し向けて周辺諸島に基地を建設しました。
今では領海内に中国の漁船が我がもの顔で入り、好き勝手に魚を獲っています。
もし沖縄から米軍が撤退したらどうなるのか。そうなってからでは遅いのです。
手登根さんたちが立ち向かう平和活動家の多くは、日教組(日本教職員組合)の元教師です。
私は「日本を美しくする会」の発足から二十年来、全国さまざまな学校を見てきましたが、
日教組の力が強い学校はたいていトイレが汚れています。
悪いことはいつも汚いことからはびこるもの。
トイレが汚い学校は、生徒の心も荒んでいました。
平和活動家が汚したフェンスをそのままにしておけば、やがては街全体が汚れ、住む方々の心の荒みにつながります。
「箸よく盤水を回す」という言葉があります。箸一本でたらいの水をかき回そうとしても、
最初は何も変わらないように見えます。
ところが根気よく回し続けるうちに箸の周囲の水が回り始め、
さらにあきらめずに回し続けると、最後には盤水全部が大きな渦になって回るようになるのです。
いかなる理由があろうとも、街を汚す行為に正義はありません。手登根さんの勇気を大きな渦へと変えるために、私はこれからも応援し続けます。
鍵山秀三郎