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後世に伝えるものがありますか

人生を価値あるものとするために、いちばん大切なことはなんでしょうか。

知識を高めることでしょうか、それとも財産を増やすことでしょうか。
私は「後世に伝えるもの」を持つことだと思います。後世に伝えるべきものを何も持たず、自分の好都合ばかり考えて生きる人生ほど、味気ない人生はありません。

日本は今、多くの課題を抱えています。
しかし、原発問題一つとっても「後世にどんな日本を残していくべきか」という観点からの議論がどれだけあるでしょうか。
「原発は反対、でも電気料金が上がるのも反対」など、整合性のない主張ばかりです。
「世論」とは、お盆に乗せた豆粒のようなものです。
お盆が右に傾けばザザーッと右に寄る、左に傾けば左に寄る。
その「世論」の流れにあわせて政治をしていたら、国は何度でも滅びてしまいます。

たとえ世の風潮に反したとしても、なんと非難されようとも、後世のために「正しい」と思えることを勇気をもって明示できる人、それがリーダーです。

首相官邸がデモ隊に包囲され、自分の身が危険にさらされながらも、信念を貫いた岸信介首相。
もしあの時、世論の勢いに負けて日米安保を破棄していたら、日本は今どうなっていたでしょうか。

人間は、自己の損得、私利にとらわれると、先を見通した判断ができなくなります。

私が昭和三十六年に自動車用品の卸売業を始めたころ、業界の体質はひどいものでした。
雪が降るとタイヤチェーンをすぐ十倍にして売る、仕入れた商品代金はできるだけ長い手形で支払うなど、行儀が悪く、商道徳などあったものではありません。
ただ嘆いていても仕方がないので、自ら模範になるような店づくりをしていこうと心に決め、小売業態の「イエローハット」を立ち上げたのです。

業界の悪しき習慣を改めるために、苦難を背負うことを承知の上で行ったことはいくつもあります。手形取引を現金取引に変えることはその一つです。

「長い手形をとれる会社ほどいい会社」という誤った考えが、業界の常識だった時代です。
「現金取引なんてできるわけがない」という声が社内からも相次ぎました。
手形取引をなくすにはまず、自分たちから仕入先への支払いを現金にする必要がありますが、出るのは現金、入るのは手形ですから、資金繰りは厳しくなります。
相手方は現金になって喜びそうなものですが、こちらも反対でした。「現金だと、たくさん買ってもらえなくなる」というのです。

まさに四面楚歌でした。

もしあの時、私が自身の損得や目先の好都合にとらわれていたら、到底やり遂げることはできなかったでしょう。眠れない夜もありました。でも「やっておいてよかった」と今は思います。

当今の毀誉は懼るるに足らず

「私利を去る」。これなくして物事の正しい判断はできません。
私益ばかり求める経営者は、判断に芯がなく、会社も長続きしないものです。

もちろん経営において会社の利益は大事です。ただそもそも会社は、国家の費用で教育された人間を受け入れ、事業を営んでいる存在です。
自分の会社の利益が、国家の利益にもつながるような事業であるかどうか。
出光興産の出光佐三氏、東芝の土光敏夫氏など、かつての日本を代表する経営者は、常にそうした厳然たる判断の基準をもっていました。

当今の毀誉は懼るるに足らず

後世の毀誉は懼る可し

一身の得喪は慮るに足らず

子孫の得喪は慮る可し

幕末の儒学者、佐藤一斎の名著『言志四録』の一節で、私が人生の指針としている言葉です。

目先しか考えられなくなった人を変えるのは困難です。しかし、今の得喪に目を奪われていて、将来はよくなるはずがありません。
後世に何を伝えるか。私利を去って、考えなければいけない時です。

 

鍵山秀三郎