BLOG

清風掃々第13号 平成20年7月発行
講話『大人(だいじん)、小人(しょうじん)』の生き方
 

この国を良くするには、政治家は政治の上で、行政の方は行政の上で、教育に携わる方は教育の上で、それぞれの分野でそれぞれを良くする仕方があります。
私は物を売るのが仕事ですが、ただ物を売って自分の懐だけが増えればいいというのでは、人間として生きている甲斐がありません。
もちろん商売ですから、売り上げや利益を上げることも大事ですが、自分の大事なお金や時間を使って、世の中を良くしようと努めていくことがとても大切なのです。

中国では昔から『大人、小人』という言い方が使われています。
意味はいろいろあり、地位や肩書きの高い人を『大人』という場合もありますが、私が申し上げたいのは、たとえ地位や肩書きが高く、有名な人であっても、『小人』はいくらでもいる。
何の肩書きもないけれど、『大人』もいるということです。
『大人』というのは、自分の大事な物やお金、時間を、人のため、国家社会のために使える人なのです。
自分の物をすべて自分の楽しみや生きることだけに使ってしまう人は、私は『小人』であると思うのです。
そういう意味で、『大人、小人』と分けると、誰でも『大人』になることができるのです。
一方では相当な力を持ちながら、一生を『小人』で終わってしまう人も少なくないのです。

長寿社会になったといっても、人間は百歳が限度で、誰もが「金さん、銀さん」のように長生きはできません。
限られた人生で、細い糸のような生き方をするか、幅の広い、厚みのある人生を送るか、その選択によって、その人の価値は大きく変わってきます。

これから先、人間の寿命が二倍に伸びることはありません。
しかし、幅は無限に広げることができます。
長さは無理でも、幅はその人の努力次第で広げることができるのです。
年齢とともに幅を広げていくと、面積はどんどん広がります。
さらに、厚みが加わると、その人の人生の価値は、とても大きなものになるでしょう。
難しいことをしようとか、自分の能力を超えて無理なことをしようというのではありません。
「自分の今持てる力を使うだけで十分にできる」と、私は思います。