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清風掃々第14号 平成22年1月発行

講話
日本人の美徳

 なぜ、昔の日本人が褒められたか、それは特別に優れた才能があるということではありません。誠実である、正直であるという美徳を褒められたのです。
 日本人の美徳の中でも特に際だっていたのが「忍耐心」です。そして、「謙虚」であるということ。強い自己主張をせず物事に調和し、いざという時には一庶民に至るまで強い勇気を持っていました。しかし、この「美徳」とは必ずしも一生涯持ち続けられるものとは限りません。時には悪徳に変わることもあります。「美徳」の反対です。例えば、揺るぎない忍耐心を持っていれば、たいていのことに我慢できますが、すぐに崩れるような忍耐心では、我慢がしきれず怨恨の元になる恨みに変わる。キレて人を殺してしまう凶悪な犯罪はこういうところから起きています。
 謙虚であり続ければ良いのですが、壊れると卑屈になってしまいます。最近、テレビでお詫びする番組が多くなりました。私には、その姿が心からお詫びしているようには見えません。「しょうがないな…」「バレてしまったから…」と頭を下げている姿は卑屈な姿に見えます。謙譲ではない、謙遜ではない調和が徹底できなければ、妥協になります。勇気が粗暴に変わります。
 昔の人たちは、なぜ美徳であり続けることができたのか。その元はあらゆるものに対する「愛」です。これが根底に揺るぎなく流れていると、美徳が悪徳に変わらず、美徳のままあり続けることができます。しかし、「愛」が土台にないと忍耐は簡単に怨恨の源に変わり、「謙譲」は卑屈になり、「調和」は妥協に変わり、「勇気」は粗暴になります。
 かつての日本人が褒められた美徳とは、何に対しても「愛」と「思いやり」があったことです。現代は、それらが何の意味もないと抹殺されるようになりました。人に対する愛や思いやりは経済成長の邪魔になる、マイナスになると消し去る傾向が強くなってきました。その結果、どうなったでしょう。美徳であったものが悪徳に変わることが社会のあちこちで起きています。放っておけば、最初から美徳も何もなく、悪徳から始まるケースもあり、私は日本の傾向を大変危惧しています。
 でも、今なら、日本を元に戻すことができると思います。私たちの祖先は長年の間、世界にない国民性を作り上げてきました。お米からお酒を造り出すように、あるいは豆から味噌、醤油を作るように、何千年という歴史をかけて世界に誇れる民族性を作ってきました。それが残念ながら、わずか五十年、特にここ三十年で、哀れなほどに壊されてきました。これではいけない。祖先が作り上げてきたもの、しかも世界に誇れる国民性を是非、私たちの手で元に戻していきたいです。