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問題を自分の問題として捉える

 都心の繁華街をきれいにする月一回の街頭清掃をはじめてから、十三年目を迎えました。
毎月第三木曜日の早朝に集まり、新宿・歌舞伎町、新宿駅東口、渋谷・道玄坂の三か所を月替わりで掃除します。一時間も行えば、トラックの荷台が満杯になるほどのゴミが集まります。掃除をしているすぐ横を、薬物中毒なのか、ヨロヨロと歩く若者たちの姿を目にすると、日本を静かにむしばむ問題の根深さを思わずにいられません。そうした状況を地元の商店街の方々は当然、目にしています。けれども、それを「問題」として捉えていないのでしょう。街は汚れる一方です。
汚物にはウジが湧くように、悪いことは常に汚いところからはびこるもの。さらに悪いことは放っておくと、どんどんふくらみ、たちまち大きくなるものです。

 誰しも自分個人の利益にかかわる問題であれば、どうにかして解決しようと努力するものです。けれども、ひとたび自分の利益に関係がないとなると、対岸の火事を眺める傍観者になる。ここに日本の社会を荒ませている一番の問題があります。
 誰の責任でもない責任、誰の仕事でもない仕事を自分の仕事として捉えていく。そんな心持ちの社員ばかりの会社であったなら、問題が起きても崩れることなく、かえって成長・発展の力に変えていけるでしょう。
日本随一の繁華街である新宿駅東側では、私たちの清掃活動に反応され、商店街の方々が立ち上がり、日中、互いの商売の手を少し休めて、街の掃除をはじめました。街がきれいになると、悪者が寄りつけなくなります。警察署の方によると、清掃をする前と比べ、この地区の犯罪率は四〇パーセント近くも低下しました。誰の責任でもない問題を、自分たちの問題として捉えた結果です。

遠きをはかるものは富む

 街や社会のさまざまな問題を、自分の問題と捉えて立ち向かっていくには「強い覚悟」をもつことが必要です。私は、もとから強い人間であったかのように人によく見られますが、そんなことはありません。五人兄弟の末っ子として甘やかされて育った、意気地のない弱い人間でした。
そんな私がなぜ一度始めたことを途中で投げ出さず、継続できる強い人間になれたかといえば、「掃除以外に自分が歩める道はない」と覚悟を決めたからです。
人間の心はガラスのように脆く、壊れやすいものです。けれども、ひとたび覚悟を決め、決断をし、集中力を高めることにより、心を鋼鉄のように強くすることができます。

 私は二十歳で自動車関係の会社に入った当時は、業界全体が汚くて当たり前、商いの行儀も悪く、仕入先を散々買い叩き、支払いはできるだけ遅くするという悪習慣が染み付いていました。この業界をどうにかして変えたい。私は目標を描きました。けれども、その会社に勤め続けていては実現できません。ならば自分で事業を起こし、理想の会社を実現しながら、悪しき業界の習慣を変えていこうと思い、独立を決断したのです。
安定した地位と収入を捨て、自転車一台からの創業でした。もしそれが自分一人の欲望を満足させるためにやったことであったのなら、私はとても創業の困難を耐え抜けなかったでしょう。
費やした努力が自分一人のためにしかならないのなら、それは「欲望」です。費やした努力が自分のみならず、業界や社会、国家のためになるのが「志」です。業界のなかで、自分の目先の利益を求める会社はすべて滅びて消えていきました。

 二宮尊徳の言葉に「遠きをはかる者は富み、近きをはかるものは貧す」とあります。

十年、二十年先をみすえ、覚悟をもって社会の問題を自分の問題として捉え、立ち向かっていく。そんな志の経営こそが、強い会社をつくります。

 

鍵山秀三郎