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よい社風が会社を強くする

 ある小学校で掃除実習を終えた後、参加した児童の一人がこう言いました。
「なんだかトイレが広くなったなあ」
掃除をしただけで、スペースを拡げたわけでも、照明を増やしたわけでもないのに、トイレが明るく、広くなったように感じられる。これは徹底した掃除によって、そこに充満していた「悪い気」が除かれ、「良い気」が発散されたからです。
「元気」「根気」などの言葉に含まれる〝気〟は生命の原動力であり、活力の源泉として、人間の行動や生活に大きな影響を与えます。
汚いものは悪い気を発散して、悪者を招き寄せます。きれいに掃き清められた伊勢神宮や明治神宮に悪者が集まって、たむろしているということを聞いたことはありません。悪いことはいつも汚いところからはびこるのです。
 繁華街を掃除していると、歩道と店舗の段差を埋めるプレートの下に、ゴミが大量に溜まっていることがあります。その下にどれだけゴミがあるのかは、プレートを持ち上げてみないと判別できません。しかし、私には上から見ただけで、ほぼ分かります。プレートの下から、悪い気がもうもうと発散されているのを感じるからです。
 会社に対しても同じことが言えます。一見すると順調そうでも、裏に問題を抱えている会社は、社風の悪さが、社員の表情や態度からすぐに感じ取れます。社風の悪い会社の人は、問題が起きると、自分以外に原因を求めます。何があっても「他人のせい」ですから、人間関係は荒み、周囲に悪い気がどんどん拡散していきます。反対に社風の穏やかな会社の人は、問題が起きると自分に原因を求め、改善しようと努力します。
誰かのせいにして放置された問題は、時間とともに膨らみ、悪い気を発し始めます。問題が起きること、それ自体が悪いのではありません。起きた問題にどう対処するかによって、結果はよくもなるし、悪くもなるのです。

有利なことは控え目に

 私の人生にあてはめてみますと、十一歳までは裕福な家庭で、何不自由なく育ちました。学校の宿題はすべて兄や姉がやってくれて、私は毎日、好き勝手に遊びまわっていたわけです。そんな生活も、昭和二十年三月の東京大空襲で一変しました。家も財産もすべてを焼かれ、いく当てもなく、岐阜の山奥での疎開生活を余儀なくされたのです。そこで私は二十歳まで農業生活を経験しました。
ほしいものはすぐに手に入った以前の生活と比べ、農業は待たなければ収穫は得られません。農業生活は辛く苦しい人生の逆境でした。しかし、その問題があったからこそ、私は勤勉さと忍耐心を身につけることができました。裕福な環境であのまま育っていたら、今の私はなかったでしょう。

 仏教に「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」という言葉があります。
耐え忍ぶことは戒を保つこと、苦行を修めることすら及ばないほどの優れた徳性である、という意味です。自分に有利なことは控え目にし、周りの人に極力負担をかけないようにする。そんな生き方の人は良い気を発散し、周囲を穏やかにします。

 私はホテルを利用する際、必ず洗面具を持ち歩き、常備された備品をほとんど使いません。連泊する時は「シーツは取り替えなくて結構です」と紙に書いて外出します。資源の無駄を少なくするためでもあり、お掃除に入る方の負担をなるべく少なくしたいからでもあります。部屋が汚くて、掃除をする方が気分を害されたとしたら、その悪い気は周囲の方にまで伝わるかもしれません。
会社を明るくしたい、社風をよくしたいと思ったら、まず上に立つ者から忍の徳を心がけ、良い気を発散できるよう努力することです。そうして会社が良い気で満たされれば、争いはなくなり、今ある「問題」のほとんどが解消するはずです。

 

鍵山秀三郎