意識と行動が運命をつくる
この半世紀の間に、日本は歴史上始まって以来の豊かさを手に入れました。経済的な富だけではなく、自由も一緒に手にしました。富と自由、これさえ手にすれば幸せになると誰もが信じ、そうなったにもかかわらず、いまはなぜ「幸せ」を実感できている人が少ないのでしょうか。
イギリスの思想家であるジョン・スチュアート・ミルは「人々が自由を求めれば求めるほど、不自由になる」と言っています。予期せぬ富を手にし、限りない自由を求めるあまり、自制心を失い、秩序をなくしているのが現在の日本の姿です。モノやお金など、目に見えるものを追いかけ、手にした代わりに、目に見えない多くの物を失いました。衣食の豊さに見合う〝心〟を育てることを忘れた結果が、今の嘆かわしい世相です。
中国の明の時代に生きた袁了凡という一人の人物がいます。貧しい暮らしの中、役人になるための「科挙」という難関試験に挑み、毎年落ち続けていた了凡は、ある有名な易者に占いを頼みます。あまりに的中することに驚き、一生涯を占ってもらい、その結果を詳しく記録しておきました。それらが次々と占いどおりとなるため、「人生はすでに天命によって定められている」と悟ります。
その後、高僧の雲谷禅師に出会った了凡は、善行を積むことによって人生は変えることができると諭されました。それから教えられたとおり、行う善悪のすべてを記録し、善いことを二つ行えばその数を記し、悪いことを一つ行えば一つ引くようにして、三千の数を目標に善行に励むようになりました。その結果、易者から合格しないと言われた科挙の試験に合格し、子供はできないと言われたのが男の子を授かり、五十三歳で死ぬと言われたのが七十三歳まで長生きしたのです。
積善の家に余慶あり
袁了凡が行ったのは「約束を守る」「挨拶を忘れない」「人の善行を褒める」「公共の場を掃除する」など、どれも小さな行いです。そうした小さな善行を人知れず積み上げ、心を育てることで、幸福な人生という大きな結果を手にしました。
日本人は戦後、富と自由という大きな結果を手にしました。しかし、それは相応しい努力や忍耐を積み重ねて得たものではなかったため、欲望を助長させ、心を蝕むことになったのです。
悪事も善事も小さなことが積もり積もって大きな結果になるということを、昔の人はよくわきまえていました。今の時代は、重大なことや利益の大きなことは一所懸命にやるけれども、小さなことや取るに足らないことには、意義も価値も感じず、無造作にやるという人が実に多くなりました。
例えば、草を取るにも「たかが」と思っていい加減にやったら、それは何の意義も価値もない仕事になってしまいます。私は草取りをする時、根本を持った瞬間に、どれくらいの力で、どう引っ張ったらうまく根が抜けるかということを一回一回しっかりと意識をし、意義と価値を感じながらやっています。それは大きな草であっても、小さな草であっても変わりません。小さな草も放置すればいずれ大きくなるのですから、同じことなのです。私の目から見ますと、うまくいかない企業ほど、大きな問題ばかりに目を向けて、足元の小さなことを疎かにしています。
袁了凡は、自身が得た教訓をわが子に伝えるため書物を残しました。最近、『こどもたちへ積善と陰徳のすすめ――和語陰騭録意訳』(梓書院)として出版され、読むことができるようになっています。この日本を少しでも良い国にして次の世代に渡さなければ、後世の人に申し訳が立ちません。遠き慮りをもって些細な善行を積上げていく、そのことにまず経営者が意義と価値を感じ、実践に努めていただくことを願っています。
鍵山秀三郎