清風掃々第3号より 平成11年1月発行
「掃除に学ぶ会運動への思いを語る」
平成10年4月26日、27日に「全国掃除に学ぶ会運営会議」が開催されました。
その会議の中で、鍵山会長と田中代表世話人のお二人に「掃除に学ぶ会運動への思い」を語っていただきました。
金子
皆さんこんにちは、時間になりましたので、ただいまより「掃除に学ぶ会運動への思いを語る」ということで、話を進めてさせていただきます。
初めに本日の司会をさせていただきます、千葉掃除に学ぶ会でございます。よろしくお願いいたします。
この思いを語るというこの時間の趣旨をご説明させていただきます。
本日は鍵山さんに「掃除に学ぶ会への思い」をお聞きしたいと企画いたしました。
平成五年十一年六日、七日に岐阜県明智町の日本大正村で始まった掃除に学ぶ会は、全国各地に広がってまいりました。
それは、ひとえに鍵山さんの掃除哲学に学ぼうとする方々が中心となって、実施されてまいりました。
また、学ぶことだけでなく、少しでも会社や地域や公共の施設をきれいにしよう、ひいては日本を美しくしようという志につながってまいりました。
しかし、どんな会でも時が経つにつれ、少しずつその行動が違ってくることもあります。
これから、この会がもっと深まり広がっていくために一番大切なことは、最初のこの会への思いを再確認することだと考えました。
そこで本日は田中さんにもご参加いただき、鍵山さんの掃除に学ぶ会への思いを再確認させていただきたいと思います。
くれぐれも、本日のテーマは「思い出」ではありません。
「思い」ですからひとつよろしくお願いしたいと思います。
それでは、鍵山さん、ごあいさつをお願いいたします。
鍵山
皆さんこんにちは。
ようこそ北海道から九州まで全国各地からお集りをいただきましてありがとうございます。
まさか私が生きている間にこんな大きなことになろうとは夢にも思いませんでした。
本当にありがたいことでございます。
平成五年に田中さんの力で始まった会が、こうやって全国に広まってきて、いかに人の力が大きいかということを今思い知らされております。
そこで、皆さん方にぜひお願いをしたいことは、この掃除の会をやることが勲章にならないようにお願いしたいと思います。
誇りになるのはいいんですけど、勲章になると、今度は人様にそういうことが非常にやっかいなものになる。
そうならないようにお願いをしたいと思います。
それから、もう一つは、この運動に関わることによって、「より世の中がよくなっていく」、そこに願いを持ち続けていただきたいと思うんですね。
例えば、座禅を何十年もやっている人がいます。
もちろん座禅はいいことではありますけれども、その方が、三十年、四十年座禅を続けて周りの人がよくなったという話は聞いたことがないですね。
それよりも、このいいことを、人様に勧める。
勧めることは、その相手の方にもいいことですが、勧めることによってまた自分も成長していく。
ここに掃除のよさがあると思います。
私もやっているうちにだんだんこの掃除というものに対する考え方も変わってまいりました。
なんとか、この掃除を通して世の中をもっとよくしていきたい、そしてこれを単に体系的な素晴らしい大きなことを言うよりも、ささやかに小さくこの運動を実践していく方が、よほど世の中がよくなるということをつくづく実感するようになりました。
しかもこうして、皆さん方のようにこの考え方を心から理解してくださる方々日本中で運動をすすめてくださるとなお、強くなると思いますのでどうか、よろしくお願いいたします。
金子
それではこれから私の方からご質問をさせていただいて、鍵山さんにお答えをいただきます。
よろしくお願いいたします。
それでは、最初に掃除に学ぶ会のネーミングは、いつごろどなたがどのような思いを込めてつけたれたのでしょうか。
鍵山
これはいろいろな名前が確かお話の中で出てきたと思いますけれども、一番最初の記憶では「掃除を学ぶ」という名前が出てきたように思います。
私は、そこで「掃除に」と変えていただきたいとお願いをしたんです。
私たちは掃除を勉強するのではなしに、掃除から学んでいくという意味で「掃除に学ぶ会」というふうに変えたんですね。
この名前の通り掃除に学んで、これをあくまでも貫いていきたいと思っています。
金子
続いて、掃除に学ぶ会の前に日本を美しくする会というのがあるんです。
日本を美しくする会を掃除に学ぶ会の前につけたのは、どのような理由があったのでしょうか。
鍵山
あまり理由も理屈もないですね。
よく世の中では、こういうことになると、こういう意味でこうだというような、理論がついてくるんですけれども、決してこの会にはこういう部分がありませんでした。
むしろ、こういう方がいいのではないでしょうかと皆さんがお話をしている中から生まれてきた、雰囲気から誕生した、そういう会の名称でございます。
金子
今、お聞きしていますと、鍵山さんが言い出したように聞こえますけれども、ここにいらっしゃる田中さんたちが何を考えて、鍵山さんにお聞きになって、少し修正したという感じをお受けいたしましたが、意外と大切なところかもしれません。
どうでしょうか。
田中
今、鍵山さんが言われたように当初、「掃除を学ぼう」というような動きがありました。
しかし、実際やっていく中で、掃除から学ぶことがいっぱい出てきたわけです。
そして、それが私たち恵那の仲間たちにも広がり、その中から鍵山さんの掃除哲学を学びたいという声が上がってきまして、日本大正村で第一回の会が開催されました。
そして、もうその時は、「掃除に学ぶ会」という名称でした。
この第一回は三十五名の参加で、まさに掃除に学ぶにふさわしい会となりました。
そして、その感動を持った人達を中心に大正村で第二回が平成六年の春に二百五十名の参加をもって開催され、その秋に第三回が開催され、そこに参加された方々を中心に全国へ広がっていくこととなりました。
金子
お掃除というと、会社は別として公園とか公共のところをやりましょうというのが、一般的な発想ではないかと思うんですが、学校のトイレとは、どのような発想から生まれたんですか。
鍵山
学校のトイレが汚いということは、既に皆さんがご承知の通りです。
そのために、子供たちは学校へ行っている間は、トイレに行くことを我慢しています。
特に大きい方は、学校でせずに家まで我慢してと、そういうことが日常になっているようです。
私は、かねてから学校のトイレというのはもっときれいにしなければならない。
そのためには、子供たちや先生やPTAたちに頼っていたんではだめだ、という考えを持っておりました。
掃除に取り組むときに、人が嫌がるトイレ掃除に取り組むのが一番いい方法です。
トイレ掃除がきちんとできるようになれば、公園や道路の掃除はもっと楽にできるはずです。
そんなことがトイレ掃除に集中をしていったという理由でございます。
金子
学校のトイレ掃除を通しまして、感動的なことを一つ二つご紹介していただけないでしょうか。
鍵山
まず、掃除の前と後との校長先生の変わりかたですね。
最初は「いいことではあるけど、ああそうですか」というような態度でしたが、終わった後で、非常に態度が変わるということがありました。
これが最初の印象です。
どこの学校ということはないんですけれども、生徒さんが最初おっかなびっくりだったけども、いつのまにか夢中になったとか、あるいは子供さんが便器の中へ顔を突っ込むようにして汚れを見つけようとしている姿。
ほんのちょっとしたことに、ものすごく胸を打たれましたね。
もう一つ、ある中学校で校長先生が、終わったあとお礼のあいさつをしようとしたら、胸が詰まって、あいさつできなかったということがありました。
こんなことが、深い印象に残っているものでございます。
田中
大正村の掃除なんですが、大正村はずっと同じ学校や施設を使わせていただいています。
この大正村掃除に学ぶ会を始めた時みえた校長先生が、その後、新しい学校に赴任されました。
その赴任されました学校を先日、橋本さんと一緒に見学させていただきました。
そうしたら、その学校の生徒さん皆さんが、とても気持ちのよい挨拶をしてくれましたし、校内がとてもきれいでした。
とにかく校舎内だけではなく、庭から玄関、全てが美しく、校内の雰囲気がわきあいあいで和やかでした。
今まで、こんな学校は見たことがありませんでした。
私たちは、こうして掃除に学ぶ会を進めてきましたが、この校長先生は赴任先の学校で黙々と実践されていたのでした。
校長先生が自ら先頭に立って、先生方も巻き込み、生徒さんたちと一緒になってトイレから床、教室、廊下、校舎周りの掃除を続けてこられたのです。
この数年間で、学校が変わっていったのを知って感動しました。
大正村の掃除の中から、校長先生が感じられたことを、赴任された学校で実践されてこられたわけで、校長先生の顔が光ってみえ、生徒さんたちの顔も一人一人輝いて見えました。
鍵山
学校の名前は申し上げませんけれども、ある学校で朝、これから始めようという時に、その学校の先生が、あいさつの中で、「こんなものは私たちはやりたくないんだ」、こういうふうにおっしゃる。
これはとんでもないところへ来ちゃったなあと思いました。
ところが、終わってこの学校の中から出たゴミを回収しようとしたら、やりたくないとおっしゃった先生が、「このゴミは置いといてください。あした生徒や職員が出てきたら、この学校にこんなにもゴミがあったということを見せてその上で、自分たちの手で片付けたい」というふうにおっしゃった。
そして、最敬礼をして私たちを送り出してくださった。
なんとその先生が次の会のときには個人の資格で出てこられました。
そういうことがありました。
金子
続いて長崎、沖縄とか神奈川とか千葉とか次々と掃除に学ぶ会が始まりまして、今日は七十六名の各地の代表世話人の方々がご出席です。
昨年よりは人数も多くなってきている。
それから飯島さんも今日はブラジルからお見えです。
そういうふうに全国的な会になることを予想なさいましたか。
鍵山
まったく予想しておりませんでした。
だいたい、こんな国民運動に近い形になるとは夢にも思いませんでした。
それは、なぜかと言うと歴史上に残るような大人物が掃除というのは大切なものだということを説いてきた人はいっぱいいるんですね。
にもかかわらず、それが世の中に広がらなかった。
それから今のこの世の中の動きを見ると、掃除に関心を深めて下さる方が、これほど世の中から出てくるとはおよそ夢にも思いませんでした。
これほど、掃除の好きな方が日本にいらっしゃるとは知らなかったですね。
ということで、一言で言えばまったく予想しなかったということでございます。
金子
それでは、鍵山さんから見まして、悪いというか良くない面ですけど、これはご自分で考えている掃除に学ぶ会とは少し違うのではないか、冒頭のあいさつの中でも、勲章ということをおっしゃっていただきましたけれども、これはというようなのがございますればお願いします。
鍵山
ほとんどが、皆さんが非常に純粋な気持ちでやってくださっていて、何も私は気を張っているところはありません。
けれども今までに一回だけ、主催者の自己顕示欲というものを非常に強く感じたことがございました。
こうなると会がだれていくなというふうに思ったことがありました。
しかし、それはその後、すぐに田中さんや何人かの方がお話をしてくださって軌道修正をしていただきましたので、今は何もないと思います。
田中
私が一番困ったのは、ある掃除に学ぶ会の時のことです。
長い間使っていれば、中には便器が壊れていたり、戸が壊れていたり、いろいろと不都合なことがあります。
壊れていたからということで、後でその故障場所を直しにいかれる方がみえました。
そのころは良いことと思いますが、ただ、勝手に直してですね、あそこの学校がどうだった、こうだったと批判する人がいました。
われわれは学校をお借りし、学びの場をいただいているのであって、その学校のことをどうの、こうのと言うことは、その学校にとって大変に失礼なことになり、お詫びに行ったことがありました。あくまでも学校をお借りして学ばせていただいているんだという姿勢を忘れてはいけないと思います。
金子
それでは、学校でそれから会社、家庭とか公衆の場とかというふうになるんでございましょうけども、鍵山さんとしましては、学んだ後どのように各々に、特に今日は世話人の方ですが、お望みになっていらっしゃるでしょうか。
鍵山
話がちょっと変わりますけれども、私は掃除以外に「はきものをそろえる」ということをよく言って、昔から大事にしております。
このはきものを揃えるというのは、自分だけが実行して揃えるのも大事ですけども、人にもはきものを揃える、ということを熱心に勧めていくということも大事なんですね。
それは自分が人に勧めることによって、自分自身がそこから影響を受けて、はきものを揃える人が一人ずつ増えるたびに、また自分自身も共に成長していける。
そいう意味で言いますと、この会を自分がやるというだけではなしに、方々に小さいグループでもいいから、できるときでいいから、そういうグループが日本中にできてほしいなと思っております。
そしてできればこの学校の子供さんたち、それからPTA、親、それから先生、これも全員じゃなくていいんですね、ほんの一部でいいから巻き込んで、共に行動していただけるように、そういうふうに育てていっていただけると、この会の趣旨はもっと、深く根づいていくと思います。
時にこの運動の一番最初の火付けは田中さんです。
田中
はい。
私どもが最初に鍵山さんに出会ったとき、その前に下地があったんです。
それは、二十一世紀クラブという地域活動です。
この活動はよい生き方をしよう、よい生き方をされている方を招いて学び合い、学び合ったことで自分のできることで、自分から、周りの人のために行おうという考えです。
最初、私の会社で、その考えを広めようとしていましたが、会社の枠を離れて地域の方々と共にやろうと二十一世紀クラブをつくりました。
その活動の中で鍵山さんとの出会いがあったわけです。
そして、鍵山さんが「掃除を通して会社、人生がよくなりました」と話しをされたことに感動し、私は翌日から掃除を始めました。
そして、掃除を続ける中で、毎日が感動の日々となり、こんな素晴らしいことは、私一人だけではなく、一人でも多くの仲間にも伝えたくなりました。
勿論、鍵山さんも、皆さんのお役に立てればと言われまして、大正村での実習になっていきました。
また、日本大正村そのものが、ボランティアの村であり、皆さんが生きがいを持って、自分達の活動の場を、その中に見つけられ、来訪者に心温かく接しておられます。
鍵山さんはじめ多くの方にきていただきましたが、この観光地は来る前よりも、帰るときの方が心が美しくなり、何か大切なものをもらって帰れるような村だねというふうに話されました。
この大正村の雰囲気と掃除の後の爽快感と似ているものを感じ、この村で、掃除を通して、自己を見直し、気付きを養うことができたならば、そして、この掃除の輪が広がっていけば日本も変わっていくのではないかと思えるようになりました。
そういう意味で、この大正村での掃除実践を通して、参加された方々が、自分たちの地域へ持ち帰り開催されることになればとの思いで続けてきました。
金子
ご自分たちが学ぶところから周りの方々に広がりをというような、実践の方法はいろいろあろうかと思います。
鍵山さんは、「明るく広く、温かい道」という表現で人生の歩み方を叱咤されておりますが、全国の世話人の方々にこのことについて少しご説明いただければありがたいです。
鍵山
この「明るく広く、温かい道」というのは相手の立場を考えたときにできる道なんです。
自分の利益のことだけ、自分の都合のことだけを考えた途端に、今まで明るく広く温かかった道が、暗くて狭くて冷たい道に変わる。
こういうことでございます。
ずっと以前に、ある結婚式に出たときに、お嫁さんの行動を見ていると非常に自分勝手だなと感じたことがありました。
ところが、このときに、「これで私たちは幸せが二倍になって、苦しみが半分になります」とあいさつされたんですが、しばらくたったら幸せが半分になって、苦しみが三倍になりました。
それはなぜかというと、お互いが自分のことを考えた場合にはそうなるわけですね。
相手のことを考えている場合に初めて幸せが二倍になって、苦しみは半分になるんです。
そういうことで、なるべくなら人生は明るくて広くて温かい道を歩いたいいと思います。
しかもそれがとてつもなく難しいことならできませんけれど、そんなに難しいことじゃない。
ほんのちょっと相手のことを考えただけで、それで十分そういう道が歩けるようになるわけです。
そういう意味で言いますと、この掃除に学ぶ会にお集り方々は、いつもそういうふうにどんどん道を歩いていかれる。
そういうことを感じます。
中には、掃除の会が終わって、ああ今までの自分の生き方が間違っている、というふうに率直におっしゃる方があるんですね。
どういうふうに間違っているかというと、今まではタクシーに乗ればお金を払うんだからということで、自分は横柄にしてきた。
しかし、この掃除の会に参加してみたら、いかにそういうことがおかしいみっともないことであるかということが分かった。
もうたった一人の方が生き方を変えてくださっただけで世の中はどんどんよくなるわけです。
掃除の会に集まってくださった方々が集まるたびに今までのそういう生き方を変えてくださったとしたら、世の中はどんどん明るく広くて温かい道に変わっていく。
そういうふうに思っております。
金子
本日の運営会議は「自立・継続・拡大」というテーマになっております。
この二番目の継続するということについて、お話いただけないでしょうか。
鍵山
なんでも、継続するというのは非常に難しいものですね。
田中さんから前にお話を伺ったところによると、この掃除に学ぶ会以前にも掃除に取り組まれたことがおありだったようです。
ところが、続かなかった。
それは日本中の会社に非常に多いことでございます。
これはなぜ続かないかというと、同じことを同じやり方でやっているからです。
同じ道具を使って、同じやり方でやっていると飽きてくる。
これが継続できない最大の要因でございます。
ですから、継続しようとしたら、道具を少しでも使いやすい道具に変えていく、あるいはもっと質のいい道具ですね、掃除だからといって、一番安い、手当たり次第のものでやっているようではだめです。必要な道具は次々と揃えていく。
それから、買ってみても、どうも思わしくないと思ったら、もっと質の高いものに変えていく。
箒一本でも、私は非常にこだわっておりまして、この箒では掃除がしにくいという箒があるんですね。
置き場所をそろえるとか、広々としたところに整然と置くとか、というふうに道具をきちんとそろえる。
それから、やり方を変える。
風の吹いている日も。風がない日も、雨が降ってもまったく同じ掃除の仕方をしているようでは、これは飽きるのが当たり前です。
そのときどきによって掃除の仕方も変える。
表の掃除なんかして蟻がぞろぞろ歩いていても平気でゴミと一緒に掃くような、そういう神経ではだめです。
やはりゴミは少し残っても蟻を掃かないような気を遣ってやる気持ちを持ってもらいたい。
私は一匹の蟻でも、仮に塵取りの中にせっせと入り込んだとしたら、一回ゴミを出して、そして蟻を逃がしてやる。
そのくらい気を遣っています。
そうしていくと、それが向上心につながって継続の秘訣になっていくと思います。
まあ、逆に言えば継続できない人がなんの工夫もしていないというふうに言えると思います。
工夫が継続の秘訣です。
田中
私は、鍵山さんに出会う前は会社に「整理整頓」という標語などを貼って、掃除は大切だと口では何度も言っていましたが、常に三日坊主の連続でした。
しかし鍵山さんに出会ってから日々の掃除実践を通して、鍵山さんの生き方、考え方、が体を通してビンビンと伝わってきました。
そんな気持ちで続けていましたら、社員の人達が一人増え二人増え職場が変わっていきました。
しかし、最初は、やらせることばかり考えていましたので、疲れましたが、少しずつ自然と他をあまり意識しなくてスムーズにやれるようになっていきました。
この掃除に学ぶ会も、当初はイエローハット様に助けていただくことが多くありましたが、次には自分たちの力で準備したり、自分たちで道具を揃えたりと自主自立の運動となっていくことがよいと思っています。
さきほど勲章ということを鍵山さんが話されましたが、鍵山さんがこうだから、鍵山さんが喜んでくれるからと、そういう話しをよく聞くことがありますが、必ずしも鍵山さんは、そのことを喜ばれていないのではないかと思います。
それよりも、掃除を通して皆さんが成長されていくこと、縁のある人たちが良くなっていかれることの方が鍵山さんの喜びであって、この運動で有名になろうとか、名前を残していこうという考えは持っておられません。
この運動は、一人でも多くの方々に参加していただけるように、常にオープンでなくてはいけせんし、いろいろ多くの人たちとプロジェクトを組んで仲間を増やし、地域と密着し、自立した運動になっていくと良いと思います。
そうすることにより、より一層、継続していくのではないかという気がしております。
金子
田中さんのお話は、鍵山さんの思いを実現しなければならないという会であると、そういうお話であったかと思います。
今後このお掃除に学ぶ会がどのようなつながりになることを一番望んでいらっしゃるんでしょうか。
鍵山
今の継続の話にもつながることでございますけれども、先ほど田中さんのお言葉の中に何度か「自主自立」というお話が出ました。
私が望んでいるのは、まさに人数を競って、あっちは何人集まった、うちは何人だったということではなくて、そういうことを超越して、たとえ三人でも五人でも八人でも、それぞれの方々が道具を持って集まってきてやるような会であってほしいということですね。
もちろん大勢の力も大事でございますけれども、大勢だから大成功で少ないから失敗だったということではありません。
そういう人数の比較とか、そういうことは全くありませんので、自分たちのできる範囲でやっていただきたいのです。
この事業、経済の世界でも他人依存で良くなった業界は無いです。
やはり、どんな時代にいても、どんなに苦しくてもとにかく自分の力で、しのいでいったときに初めて、その会社は良くなる。
公共投資に依存するとか、景気不良だとかいうといろいろなものに頼りがちでございまして、頼れば頼るほど悪くなってくる。
これはもう、自明の理でございます。
掃除道具も最初は、私どもでかなり揃えさせていただいて、お使いいただいてまいりました。
今はおかげさまで、方々で自発的に道具を揃えられて、その道具をお使いになるというふうに、変わってまいりました。
そこで、たとえ少人数であっても道具を自前で揃え、そしてその道具でやれるだけのことをやる。
そして、また、やるたびにどうもこういう道具がもっとあったほうが便利だなと、自分たちで考えたところからやる。
こんなふうにしていただくと、この会が素晴らしい内容の会になっていこうかと思います。
私どもの会社で道具の一覧表というようなものを作っておりますが、必ずしも全部が必要だとは言えませんし、リストに載っていない道具も必要でございます。
ですから、それこそ自分たちの工夫において、道具も揃えていただき、道具の使い方も工夫していただきたいですね。
先般、こういうことがありました。
掃除の会が始まる前に、表の掃除をしておりまして、表にたくさんの排水溝があった。
その排水溝の中はほとんど詰まっていた。
そして、排水溝の上の鋳物のふたが、なかなか取れない。取ったことがないんで、取れないんです。
最初からそういうやり方では、取れないことが分かっているのに、無理に、道具を使ったりなんかされる。
これをどうやったら簡単に取れるか。
せっかくの道具の使い方が悪いと、非常に骨折って時間がかかる。
しまいには取れないから諦めるということになる。道具の使い方を工夫をしてくださると、それが皆さん方の日常の生活や事業にもお役に立っていくんではないかと思います。
ちょっと、話がそれてしまいましたけれども、自主自立ということが、私が願っている最大の願いでございます。
それを今、田中さんが非常によくご理解してくださって進めていただいているので、うれしゅうございます。
金子
皆さん方のほうから、ひとつご質問とかまたはご自分はこう考えているんだけど、鍵山さんはいかがですかというようなことでも結構でございます。
いかがでしょうか。
塚越
茨城券から来ました、塚越と申します。
私は、鍵山さんの本を読ませていただいて、鍵山さんの考え方には哲学があるんだなと思いました。
哲学という意味を辞書でひきますと、学問でいう哲学と長い年月をかけて得たものを哲学という二通り書いてありました。
やっぱり、鍵山さんも三十何年間もされているわけですから、哲学なんだなと、私にもはっきり分かりました。
とすれば、自分たちも今、掃除をやらせてもらっていますけれども、これから正しく理解して、あとを継いでいくような考えが必要なのかなという気がしました。
掃除の会も田中さんや金子さんとか、いろんな人が形成していますけれど、自分からそういう哲学でいくべきかなという気がするんですけども、間違っていますでしょうか。
鍵山
哲学というほどの、たいそうなものではありませんけれども、せっかく塚越さんがおっしゃってくださったので、強いて言えば実践哲学です。
実践を積み重ねていっているから、こういう考えになってきたと、こういうふうにお考えいただきたいと思います。
カールヒルティという人が、「体系的なものはおよそ虚偽である」ようするに嘘や偽物であるということを書いているんです。
「幸福論」という本の中にですね。
今の時代は、たくさん知識を皆さんが頭に入れておりますから、物事を体系的に組み立てたり、計画書を作ったりということが非常に長けてきたんですね。
会社でも、経営理念なんていうものを、体系的に積み上げて、もう一分の隙もないようなものを組み立てたり、それから営業計画でも、もう本当にその通りにいったら申し分ないというような計画書はできる。けどもそういうふうにはいかない。
そういうような、今の世の中でございます。
そのことをもう百年以上も前にカールヒルティが「体系的なものはおよそ虚偽である」とそれで「時間的に生まれてきたものが真実である」というふうに、書いているんです。
まさにその通りです。
体系的に物事を考えたりすることは、非常に私は苦手でございます。
一方、物事をやりながら、次から次へとやっていることを通していろいろ気が付いていくというようなことについては、私は相当自信があります。
例えば倉庫で、みんながどういう商品の取り方をしているかというとその動きを見るとその商品の売れ行きがよく分かる。ほんの、一言二言聞きたいときの相手の答えの仕方で物事を感ずる。
しばらく留学しておりまして、会社に帰ってゴミを見るとどういうふうなことが行われているか、そのゴミが物語る。
ということで、やはり実践を通して積み上げてきたものが大事だと思います。
ただ、実践を通して積み上げたから、全てが良いかというと、そうはいきません。
日本の会社を見ると、いくつもそういう会社がありますね。素晴らしい高収益を上げているけれど、そのために世の中にどれだけ大きなマイナスを振りまいているかということですね。
あるいは経営者が自分の自己顕示欲、自分の自己満足のためにどれだけの社員の人たちに犠牲を強いているか、あるいは、取引先の人にも無数に無理難題を押し付けて、そして相手が立ち行かないところまで、今度は威圧して、そして自分の会社だけ、自己満足してきた会社はたくさんあるんです。
常に、この自分の考え方を実践した場合に、社員の人たちはこれで人生がよくなるだろうか、社会はよくなるだろうか、そういう観点に立った実践で初めて、社会に役に立つ哲学にまでなっていくと私は思っております。
立派なことを言いましたけれども、うちの会社は私が言ったことには、それに近づくように今努力しています。
金子
ブラジル、サンパウロからお越しの飯島さんでございます。
飯島さんは最近謙虚という気持ちをむこうで実践をしていると、サンパウロの皆様から報告がありましたけど、いかがでございましょうか。
飯島
ブラジルの飯島です。
鍵山さんのこれからの構想なんですけど、僕はブラジルから来ていますが、日本を美しくする会です。
そうするとブラジルはどうなんだろうと。
二十一世紀はもう間近にきています。
そのときに、鍵山さんのこれからの構想はどういう形態をしていきたいのか、また僕たち二世、三世の人たちがどういう方向で行ったらいいのかということをちょっとお聞きしたいんですけれども。
鍵山
そもそも飯島さんとか山田さんとは、三年前の三月に始まったんですね。
彼が、阪神の大震災のときの被災地の非難をしている学校へ掃除にまいりました。
そのときに大阪の上野さんが飯島さん他、あと二、三人ブラジル、サンパウロから来られた方々を連れてきておられた。
私は、感心しましたね。
良い方ですね。
こうやって日本の被災地を掃除に来てくださる。
世の中にはすごい人がいるんだと思って、敬服いたしました。
ついで飯島さんと黒木さんと栗林さんと三人の方がいらっしゃる。
私がそのことをお伝えしましたら、その後がいけなかったですね、「じゃあブラジルへも来てください」ブラジルから日本へこうやって来てくださっているのに、私の方が遠いから行けませんなんてことは言えなくなっちゃって。
「じゃあ行きましょう」ということで、一昨年行ってしまいました。
そして去年続けて行きまして、今年はもうとても会社的にも難しく、うりの会社からは五人だけの参加でした。
そういうようなことが飯島さんとのご縁の始まりでございました。
それで今日は日本を美しくする会ということで、それを強調して、おられますので、飯島さんがご心配になっておられるようですけれども。
日本からも、人数は別として必ず毎年何人かの方が、この遠征を引き連れてブラジルへ、掃除に学ぶ会の運動が形になるお手伝いをし続けていきたいと思います。
またサンパウロだけではなしに、できればブラジルの各地にこの会ができて、それでブラジルはブラジルでブラジルを美しくする会としてですね、飯島さんを中心にしてぜひ、方々にこの運動を広めていただきたいと思います。
それが、やがてはアメリカを美しくする会になり、ロシアを美しくする会になり、中国を美しくする会になって、世界を美しくする会、地球を美しくする会というところまで、ずっと育っていけばいいと思います。
最初からあまりにも大きな、構想を打ち上げすぎると、理想と現実の差があまりにもありすぎて成就しません。
「一人光る、みな光る、何も彼も光る」という順番に従って、一人光るという段階から、みな光るというところへ今、移ろうとしているところでございます。
まずみな光るというところまで行ったら、次は何も彼も光るというところまで行けるように、そういうふうにありたいと思います。
金子
それでは、鍵山さん最後になりますが、掃除に学ぶ会と直接関係はございませんが、政治について少しお話をお伺いしたいと思います。
日本を美しくする清掃運動と同時に個人として、政治をよくするため、鍵山さんは若い有能な政治家を応援していらっしゃいますが、そのことについて少しお考えをお聞かせいただけませんでしょうか。
鍵山
もともと私は政治家というものが、大嫌いで、政治家くらい信用できない人間はいないというふうに思っております。
家内が投票に行くなんて言うと、なんでそんなつまらないところへ行くのかと、会社の人が投票に行ってから会社に来るから朝遅れてくるなんて、とんでもないけしからん奴だというふうに、こういう考えで長年たってまいりました。
それが、政治に私たちがあまりに無力である。
何をどう言ったって、変わりっこないという、変わるどころかますます悪くなるという見方をしておりました。
それが、この掃除を通して、私は松下政経塾の塾生八期生のときから何度か、政経塾におじゃまするようになりました。
上甲晃先生が、塾頭の時代ですね。そして、この塾生の一人一人と交わるようになったわけです。
中には本当に純粋で素晴らしい人がいます。
こういう人を区域を越えて、国政や県政や市政に送り出さなければ日本はよくならない。
こういう人がいつも落胆をして、そのうりに志を失うようでは日本はよくならないということを思ったんです。
それで、私は本当に志のある青年を地域を越えて全国区で応援したいと、そして応援をしたうえで、絶対見返りを求めない。
俺はこうやって応援したんだから、今度は応援してくれと、こういうつまらない次元の話ではなく、応援のしっぱなしです。
俺のことはいいからこの地域のことはいいから、日本をよくしてくれと、こういう考えを皆が持って、志ある青年を政治の場へ送り出す。
それが大事だと思います。
私が応援しているなんていうと、おこがましいんですけれども、たとえ私の力がほんのわずかであっても、今できる範囲での応援をして、私は一人ではとてもできないので大勢の方々に呼びかけて、お願いをしています。
そういう仕組み作りをしていきたいなというふうに思っております。
ただ、いろんな会を運用しるときにこういうお話をすると、会を利用して私が政治活動をしていると誤解されますと、この会そのものの存在意味まで失われてしまいますので、私はこういう会である特定の人を挙げてお願いしたりはしておりませんけれども、できましたら皆さんの力で、志の高い人を応援していただきたい、もうこのことだけお願いをいたします。
金子
不慣れな司会でまことに申し訳ございませんが、以上で終了させていただきます。
どうもありがとうございました。