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先日「台湾を美しくする会」の大会へ参加した折、台南まで足を延ばして、八田與一氏のお墓に参りました。
八田氏は土木技師として、東洋一の烏山頭ダムをつくり、作物不毛の嘉南平野を台湾最大の穀倉地に変えた人物として、台湾の教科書にも載る偉人です。
嘉南の人々は八田氏の遺徳を永遠に伝えようと、ダムのそばに銅像と墓を建てました。
「飲水思源」(水を飲むたび井戸を掘った人の苦労を思え)の言葉どおり、命日には今も盛大な墓前祭が行われています。

東日本大震災が起きた時、台湾の人々は他のどの国よりも早く救援の手を差し伸べ、
また、どの国よりも多い二百億円もの義援金を送ってくれました。

それに対し、先の民主党政権は各国代表を招いた追悼式典において、台湾代表に上席を用意せず、献花さえさせませんでした。
「日本は恩知らずな国」と非難されても仕方のない行いです。

傲慢、無反省、忘恩。人間の「三悪」です。日本はここ何年かで「ここまできたか」と嘆きたくなるほど、人間の「質」が低下してしまいました。

公共の電車の乗り方はその一例です。
最近は目的の駅に電車が着きドアが開いてから席を立ったり、棚の荷物を降ろし始める人が増えました。「支度」をせず、ギリギリまで楽をしようとするのです。
当然、乗ってくる人の流れを妨げたり、ぶつかることも多くなります。以前も、あわてて降りる人はいましたが、わざとではありませんでした。
最近の日本人は、分かっていながら平気で悪をやる。
こういう人間を「無明の人」といいます。

日本の将来は暗い、暗いといわれますが、それは「自分さえよければいい」という無明の人ばかりの国へと、人間の質が低下したからにほかなりません。

人口が減る中で、日本が国力を保っていくには、人間の質を高める以外にありません。
人間の質を高めるということは人格を高める、心を磨くことです。

孟子は人間の条件として「惻隠、羞悪、辞譲、是非」の四つを挙げました。
「惻隠」とは他者を思いやる心、「羞悪」は恥を知ること、「辞譲」は謙虚に譲る心、
「是非」は正しいことと悪いことを判断する心です。かつての日本は今よりずっと貧しかったけれど、
これらを備えた人間がたくさんいました。明治期に日本を訪れたある外国人は、
「日本の庶民は、ヨーロッパでいえば、ごく一部の王侯貴族にしかない資質をみな備えている」と書き残しています。

日本人の質が落ち始めた原因の一つは、「この世に存在するすべてのものは測定でき、数値化ができる」というアメリカ式の理論を、無防備に導入したことにあります。
今の日本は学校の成績も、会社の業績もすべて数値化です。評価が一律で、簡単だからです。
その一方で、数値化できない「一生懸命さ」や「譲る心」「人柄」などは評価されなくなり、
切り捨てられるようになりました。とりわけ小泉内閣によりその傾向に拍車がかかり、日本は変質しました。

自分の任期中の利益しか考えない「私益」のリーダーは必ず行き詰まります。
いい仕事をして、得た物は後世に遺す。そうした偉大な先人たちが積み上げた恩恵の上に、現在の日本があるのです。
今、人間の質を高める努力なくして、未来の子孫に遺せるものはありません。

目先のことにとらわれて楽をし、後で「やっておけばよかった」と思うよりも、
少し痛い思いをしても「やっておいてよかった」と心穏やかに振り返ることができる、
そんな生き方をリーダーがまず実践することが、日本の質を高める第一歩となります。

鍵山秀三郎