BLOG

私が「掃除」を始めて、五十年が経ちました。

現在のイエローハットの基礎となる小さな会社を興した後、社員の荒んだ心を穏やかにするためにトイレ掃除を始めたのがここまで続いてきたのです。

三十年を過ぎるころから、全国に「掃除に学ぶ会」が設立され、地域の学校や公園を掃除するようになりました。「たかが掃除」。ほとんどの方が最初はそんな反応をされます。そこで勇気を出して実践された方はこう言われます。「されど掃除だ」と。

「掃除」には人を変える力があります。

「たかが掃除」「されど掃除」

広島の暴走族の総長だったA君と先日、数年ぶりに再会しました。今では三児の父として、福祉の仕事に励んでいます。奥さんも元暴走族です。

広島の暴走族といえば、規模も荒々しさも全国有数で、暴走行為を食い止めるのに千五百人もの機動隊を必要としたほどです。警察の依頼を受けて平成十一年、「広島掃除に学ぶ会」が中心となり、金髪、ピアス姿の少年少女と公園のトイレを掃除しました。「だましやがったな!」と不満ばかりの彼らも、率先して磨き始める大人の姿に、しぶしぶ便器に向かいます。十五分もすると熱中し、二時間汗だくになってピカピカにしました。「こんな大人もいるんだなぁ」。一人の子が独り言を言うのを私は耳にしました。

活動を続けるうちに、自ら暴走族をやめる子が出始め、暴走行為は消滅しました。「たかが掃除」が、荒んだ彼らの心を変えたのです。取り締まりにかかる莫大な社会コストの節約にもつながりました。

戦後の日本はこれまでに一千兆円を超えるお金を社会につぎ込んできました。はたして、それで日本はよい方向に進んだのでしょうか。「恵まれた不幸せ」の国、それが今の日本です。

先日、ルーマニアを訪ね、そのことを強く感じました。ルーマニアの国家財政は非常に厳しく、経済水準は低いままです。その中でも、まず自分たちのできることから実践し、社会を変えていこうと人々が勇気を出して「掃除」に取り組み始めたのです。

掃除大会に先立ち、私から「大きな努力で小さな成果を」という話をしました。労せずして大きな成果を得ようとすれば心が不安定になる。平凡なことを紙一枚の厚さでも徹底して積み上げることが、より確実な生き方である。そう申し上げましたが、訳がなかなか進みません。私の考え方を咀嚼しようにも実感がないので訳せないのです。

その後、近くの公園を全員で掃除をしました。すると、その通訳の女性が「掃除をしたら、鍵山さんの話が面白いほどわかるようになりました」と言うのです。その後は別人のようにスラスラと通訳をしてくださいました。自ら手足を動かし「実践」することで、たくさんのことに気付かれたのでしょう。

志は高く、実践は足元から

うまくいかない国や会社の共通点は「制度」をつくることに熱心で、それを運用する「人間」をつくろうとしないことです。立派な言葉を並べるだけで、足元のゴミ一つ拾えぬ人間に、何ができましょうか。

教育哲学者の森信三先生にこんな話があります。ある勉強会の席で、一教師が生徒指導の困難さを述べたところ、森先生は「そのことに対してあなたは今、何をしておられますか」と問い返し、こう言われました。「仮に大講堂で停電し、真っ暗になったとする。その時、五ワットの電灯一つ、ローソク一本あれば、手探り、足探りせずに外に出ることができる。あなたの言われたような状況の中で、あなたはなぜ、ローソク一本立てようとされないのですか」と。

リーダーがただ不遇を嘆くばかりでは、現状は何も変わりません。「志は高く、実践は足元から」です。

あなたは今、何をしておられますか?

 

鍵山秀三郎