頭のよい人、人悪い
「皆さんはぜひ、頭のよい人になってください」
小・中学校で講演をする時、私は子供たちにこう伝えます。「頭のよい人」とは、頭脳の優れた人という意味ではありません。
いつも「よいことを考える人」のことです。いくら勉強がよくできて、知識や能力が豊富にあったとしても、悪いことを考える人は「頭の悪い人」です。
今の学校教育は、頭脳の教育に偏り、心の教育が足りないと感じることがよくあります。
心の成長がないまま頭脳が発達した人間は、生き方が「自分中心」になりがちです。
努力して蓄えた知識を、他人や社会のためではなく、自分の都合や満足のためだけに使おうとするのです。
「頭の悪い人」ばかりが集まった会社は、社風が悪く、大きな困難に耐えることができません。
「頭」と「心」と「体」が調和した、バランスのよい人づくりを日ごろから心がけることが大切です。
まず「頭を使う」ときには一緒に「心を使う」ことです。頭だけで考えたことは浅はかで、自分中心の判断となるため、結局うまくはいきません。
次に「体を使う」ときには一緒に「頭を使う」ことが大切です。
ふだんの仕事でも、何も工夫をせず、毎日同じように手足を動かしている人は進歩がありません。道路を掃くのでも、考えながらやる人は、道具の使い方が上手で、効率もよいものです。
最後に「心を使う」ときには一緒に「体を使う」ことを意識するとよいでしょう。心を磨くといっても、体から心だけを取り出して磨くことはできません。掃除をしたり、人を喜ばせることに手を使い、実践するなかでこそ、心は磨かれていくものです。
この三つが自然と連動することで、人間本来の機能が引き出され、その人の持ち味が最大限に発揮できるようになります。
平凡は徹底することで光りを放つ
初出場ながら、昨年の夏の甲子園を制した前橋育英高校の荒井直樹監督と、ある雑誌で対談しました。
野球部を率いて十三年、最初は部室がゴミだらけの荒れた状態で、試合にも勝てなかったそうです。
荒井監督は、勝ち負けにこだわるよりも、生徒の人間的成長をいちばんに考え、部室の掃除やグラウンド整備という凡事の徹底から取り組み始めます。
世の多くの監督は、任期中にどれだけよい実績を残し、自分の評価を高められるかを第一に考えるものです。
荒井監督はそうではありません。試合に勝てず、周囲から「掃除なんかやめて、もっと技術を高める指導をしろ」という批判がきても、信念を曲げませんでした。
甲子園の熱戦の中でも毎朝、泊まったホテル周辺のゴミ拾いを部員全員で続けるほどの徹底ぶりです。
迎えた決勝戦、相手に三点を先取され、前橋育英は劣勢に立たされました。そこで動揺したり、あきらめることなく、荒井監督たちは自分たちの野球を貫き、見事栄冠を勝ち取りました。
荒井監督は、何か特別な練習方法を取り入れて、選手を強くしたわけではありません。
やったのはごく平凡なことばかりです。平凡なことを平凡にやるのではなく、心を使い、頭で考えながら工夫を重ね、それが「非凡」となるくらいやり続けました。
そうした人間として確かなベースを備えた選手だからこそ、決勝戦のピンチでも崩れず、積み重ねた努力を信じて、戦い抜くことができたのでしょう。
頭と心と体が調和した人間を育てるには、掃除がいちばんです。おざなりな掃除では、意味がありません。
誰もが「そこまでやるか」と思うくらい、徹底した掃除をやることです。
ほうきの持ち方、使い方、ちりとりの動かし方一つに心を込め、頭を働かせて工夫を重ねるなかに、その人本来の持ち味が引き出されてきます。
平凡なことを疎かにする会社に、大きな成果は残せません。よいことに手を使う、平凡な努力の積み重ねが、会社を永続させる底力となるのです。
鍵山秀三郎