清風掃々第12号 平成20年1月発行
巻頭言より
講話「掃除の功徳」
お釈迦様に「掃除の功徳」という教えがあります。
五項目ありまして、第一番目は「自心清浄」、自分の身も心も清めることです。
二番目は「他心清浄」、掃除をしている人の姿を見ている人の心も清めることができるのです。
本当にそうだと思います。
掃除をしている人の姿を見ただけで気持ちが穏やかになってきます。
私は朝六時過ぎに家を出るのですが、五時半頃から御年配の女性が私の家の近所を毎朝掃除しているのです。
それから、自由が丘の駅のところを腰の曲がったおばあさんがゴミの袋を引きずって歩きながら掃除されています。
六時頃にはきれいになっているため、相当早くからいらしていると思います。
そういう人の姿を見ただけで、私の心までが清められたような気がします。
三番目は「諸天歓喜」といって、すべてのものが生き生きとして喜んでくる。
新宿の街がそうです。
掃除をすると街が生き生きとして、本当に喜んでいるのです。
それは何故かといいますと、例えばお店の前に踏み板というのがあります。
中にはものすごい幅の広い重い鉄板が置いてあるお店もあります。
ちょっと持ち上げるのは大変だな、下ろす時にケガでもしないかと思うような厚くて大きい鉄板が置いてあることがあるのです。
それでも、みなさんで何とか持ち上げると、この中にはすごいゴミがあるのです。
ある時、ウサギみたいに大きなネズミが巣くっていて逃げていったこともありました。
そういうところでゴミを取ると、本当はこの鉄板の上から中のゴミなど見えないものです。
しかし、鉄板を持ち上げて中のゴミを取り、へばり付いた汚いものをスコップで削り取り、時にはたわしで洗う等して、このお店の人でさえやったことのないことを私たちはやってくるのです。
これをずっと軒々やってくると、その通りがやり終わるころ、街が生き生きとして空気がきれいになり喜んでいるのです。
お釈迦様の仰ることは間違いないと思います。
四番目は「端正の業を植ゆ」といって、すべてのものが整ってくる、何もかもが整ってくるという教えで、これは全部私が掃除を通してお釈迦様の仰った通りだと思うのです。
ただ五番目はまだ私も体験をしておりません。
死んだ後天の上で生き返る「命終の後、まさに天上に生ずべけん」ということで、これだけは皆さまに本当ですとまだ申し上げられません。
もう少し待ってください(笑)。
掃除の功徳というのは、二千五百年も前にお釈迦様が仰っています。
「掃除が大事だ」ということを言った人は沢山います。
けれども、残念ながら世の中に広まることはありませんでした。
それが、お釈迦様が仰ってから二千五百年経った今、この掃除が日本から発信を始めて、ブラジル、ニューヨーク、台湾、特に台湾は日本以上の取り組み姿勢でして、この日本から発信した文化が海外にまで伝わりました。
この文化はいくら輸出しても摩擦が起こることはありません。
行った先でみんな喜ばれることばかりですから、さらに広めたいのですが、残念ながらまだ日本国内の対応がしきれない状態になってきております。
そのため国内のリーダー、指導ができる人たちがもっと増えるようにお願いしたいと思います。