清風掃々第17号 平成22年5月発行
講話
代受苦
宮城県知事の村井義弘さんと、過去に二人しか成功していない大峰山千日回峰をされた塩沼亮潤大阿闍梨の三人で鼎談をさせていただきました。私は話の途中で、「あなたはそんなに苦しいことをどうやって耐えて、乗り越えてきたんですか。その苦しさに耐える秘訣を教えて下さい」とお願いしました。すると、実に簡単に「代受苦」と仰いました。本来、人が受けるべき苦しみを代わって受ける、もしかしたら、この苦しみを誰かが受けるかもしれない、その苦しみを進んで私が代わって引き受ける、ということを教えていただきました。
今日まで東京に出て随分苦しい目にも遭いました。今も決して楽ではありません。岐阜県にいた時もです。ちょうどこの時期(一月)は、今と違いもっと大変な強い風が吹きました。そのなかで麦踏みをしたり、雪山の中に入って薪作りをしたりして、十一歳から六十五年間、楽をしたことがありません。しかし、自ら進んで人の苦しみを引き受けようとしたことはありませんでした。自然に来た苦しみは逃れず受けようとしましたが、自分から進んで人の苦しみを引き受けていこうとまではしなかったのです。塩沼亮潤大阿闍梨のお話を聞いて、「そうか」と思い、これからあと何年生きられるか分かりませんが、この学んだことを努めて、心していこうと思いました。
一六〇九年、毛利藩の毛利元就は関ヶ原の戦いに敗れて四分の一に領地が減らされました。武士の数は変わらず、四分の一に収穫が減りますから大変な目に遭いました。お百姓さんもなんと七十三%という年貢を取られる。そのために餓死したり、夜逃げをしていく人がたくさん出たわけです。その時に、山城地域の十一人の庄屋さんがこの姿を見かねて、代官所に年貢を減らしてくれと直訴をしました。直訴というのは一揆を煽るということで重罪中の重罪です。そういうことをすれば必ず命を取られることを知りつつ、十一人が決意して、一人も欠けずに揃って直訴をしました。結果的に年貢は下げてもらいましたが、十一人全員が打ち首になりました。そのことを顕彰し、去年、顕彰碑ができましたが、これこそ村人たちの苦しみを代わって引き受ける、命に代えて引き受けるということです。私には塩沼亮潤氏ほどのことはできませんが、そのような考え方で生きたいと受け止めております。