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清風掃々第22号 平成25年11月発行
巻頭言 五十年、光は徐々に明るさを増し
 

二十年前に「日本を美しくする会」が始動した時、私は暗闇の中に一条の光を見ました。
しかし、その時の光は私以外は誰にも見えなかったでしょう。
その活動を二十年継続してきた今、まだ薄暗い夜明けの光ではありますが、多くの人の目にも曙光が見えるようになってきました。

たった一人で掃除を始め、気づけば五十年の月日が経ちました。
もちろん、くじけそうになることもたくさんありました。
私が望んでいるのとは反対方向へ世の中が動き、「私のやっていることは正しいのだろうか」と自問自答し、虚しさを感じたこともありました。
しかし、この五十年を振り返ると「本当にやってきてよかった」というのが心からの感想です。

自分の歩む道に迷いを感じた時、諦めてしまう人は多いものです。
しかし、結果を求めようとするならば、「これしかない」という信念のもとに継続するほか、方法はありません。

人はとかく結果を急ぎがちです。
しかし、たとえ望む地点までまだ到達していないからといって、投げ出してしまってはいけません。
すぐに諦めているうちは完結させるのは難しいでしょう。
時には遠回りに思えるかもしれませんが、必ず道は繋がっています。

私は、目指す着地点とは一見脈絡のないようなところから着手してきました。
周囲の人には理解できない部分もあるでしょう。
しかし、一見脈絡のないことでも、継続するうちに一歩ずつ一歩ずつ着地点に近付いているのです。

「日本を美しくする会」も徐々に活動が評価され、最近では賛同者の方々が多く現れるようになりました。
始動時と比べるとずいぶん多くの人が集まるようになったと実感しております。
もちろん、中には技術が未熟な人もいます。
ですが、経験の長さの壁を超えて、全員が一体となり和やかに活動できるような会でありたいのです。
技術だけを高めるのではなく、一人一人が成果を求めて集まり、活動することに意義があります。

そのような会であり続けるためには、参加者全員がしっかりと役割を果たしたという気持ちで掃除を終えられることが大切です。
だから、トイレ掃除でも街頭清掃でも、知識やスキルを学ぶだけでなく、手持無沙汰にさせない実践環境が大切です。
一人一人が責任を持って持ち場を掃除することに意味があるのです。

細かい規則をつくる必要はないと思いますが、一人一人が誠意を込めて最善を尽くしたと言える会になれたら、「日本を美しくする会」は今以上に明るく輝く光となるのではないかと思います。
一人一人が、今日が自己最高と思える活動にして参りましょう。